ボルダリングを始めたばかりの頃や、なかなかグレードが上がらずに伸び悩んでいるとき、「もっと握力を鍛えなければいけないのではないか」と考える方は非常に多いです。そして、スポーツ用品店などで握力計を購入し、日夜数値を追い求めてしまうケースも見受けられます。しかし、ベテランクライマーの間では「ボルダリングに握力計の数値は意味ない」という意見が根強く存在します。
なぜ、握力という一見重要そうな指標がボルダリングの世界では軽視されがちなのでしょうか。その理由は、一般的な握力計で測る「握りつぶす力」と、壁を登るために必要な「ホールドを保持する力」の仕組みが根本的に異なっているからです。この記事では、握力計の数値がなぜ上達に直結しないのか、そして本当に鍛えるべき力とは何なのかを詳しく解説します。
この記事を読むことで、無駄なトレーニングを回避し、効率的にボルダリングの実力を高めるためのヒントが得られるはずです。自分の努力を正しい方向へ向けるために、ぜひ最後までチェックしてみてください。それでは、ボルダリングにおける握力の真実について深掘りしていきましょう。
ボルダリングで握力計の数値が意味ないと言われる根本的な理由

ボルダリングのパフォーマンスを向上させるために握力計でトレーニングすることは、一見理にかなっているように思えます。しかし、多くのトップクライマーは握力計の数値をそれほど重視していません。なぜなら、測定される「力」の質が登攀(とうはん:高いところへ登ること)に必要とされるものと乖離しているからです。
「握りつぶす力」と「耐える力」のメカニズムの違い
一般的な握力計で測定するのは、物体を手のひら全体でギュッと握りつぶす「クラッシュ力」と呼ばれるものです。これに対して、ボルダリングで最も頻繁に求められるのは、ホールドに指をかけ、自重を支えながら耐え続ける「保持力(スタティック・ストレングス)」です。
クラッシュ力は主に「浅指屈筋(せんしくっきん)」という筋肉を酷使しますが、ボルダリングで小さなホールドを持つ際は、指先を曲げる「深指屈筋(しんしくっきん)」の役割が非常に大きくなります。使われる筋肉の主役が異なるため、握力計の数値が上がっても登攀能力に直結しにくいのです。
また、握力計は「握る動作」そのものを評価しますが、ボルダリングでは「指を一定の形に固めたまま耐える」というアイソメトリック(等尺性収縮)な筋力が求められます。この動作特性の違いこそが、握力計が意味ないと言われる最大の要因となっています。
手のひら全体の筋肉よりも指先の腱と靭帯が重要
握力計の数値を出すには、親指の付け根(母指球)や手のひら全体の筋肉量が影響します。しかし、ボルダリングで難しい課題(ルートのこと)をクリアするためには、筋肉そのものよりも、指の第一関節や第二関節を支える「腱(けん)」や「靭帯(じんたい)」の強さが重要です。
特に「プーリー」と呼ばれる腱鞘(けんしょう)は、指の骨に沿って腱が浮き上がらないように押さえる役割をしており、ここが強くなければ強い保持力は発揮できません。握力計ではこれらの組織の強靭さを正確に測ることは不可能なのです。
したがって、握力計で50kg、60kgという高い数値を出せたとしても、指先の組織がクライミングに最適化されていなければ、岩やホールドを指先だけで支持することはできません。筋肉量だけでなく、関節周りの強さが求められるスポーツだと言えます。
数値の高さよりも「体重比」がパフォーマンスを左右する
ボルダリングは自分の体を持ち上げるスポーツであるため、絶対的な筋力よりも「自分の体重に対してどれだけの力を出せるか」という体重比筋力が重要になります。握力計で高い数値を記録しても、それ以上に体重が重ければ、壁の上では大きな負荷となってしまいます。
例えば、握力が60kgあっても体重が80kgある人と、握力は40kgしかないけれど体重が50kgの人では、壁を登る際の余裕度は後者の方が高くなることが多いです。握力計はあくまで「絶対値」しか示さないため、これに執着するのは得策ではありません。
そのため、握力計の数値を伸ばすことに躍起になるよりも、適切な体脂肪率を維持しつつ、指先の保持力を高めていく方が、ボルダリングのグレードアップには確実に貢献します。数値そのものに惑わされず、全体のバランスを考えることが大切です。
【ここまでのポイント】
・握力計は「握りつぶす力」を測るが、ボルダリングは「指を固定して耐える力」が必要。
・手のひらの筋肉よりも、指先の腱や靭帯の強さが保持力の鍵を握っている。
・絶対的な握力の数値よりも、体重とのバランス(体重比)の方が重要である。
クライマーが本当に手に入れたい「3つの保持スタイル」

握力計で測る力とは別に、クライマーが練習やトレーニングで磨くべき保持の形がいくつかあります。これらを正しく理解し、使い分けることが上達の近道です。ここでは、ボルダリングで多用される代表的な3つの持ち方を詳しく見ていきましょう。
指を立てて極小ホールドを制する「カチ持ち(クリンプ)」
カチ持ち(クリンプ)は、指の第二関節を高く曲げ、第一関節を反らせるようにしてホールドを押さえつける持ち方です。数ミリから数センチしかないような、薄くて小さなホールド(通称:カチ)を保持する際に不可欠な技術となります。
この持ち方は非常に強力な保持力を発揮しますが、指の関節や腱に多大な負担をかけます。握力計で高い数値を出せる人でも、この「カチの形」で指を固定する力がなければ、難しい課題で指が弾かれてしまいます。初心者が無理に多用すると怪我の原因にもなるため注意が必要です。
カチ持ちを安定させるには、指先の筋肉をピンポイントで鍛えるだけでなく、親指を人差し指の上に添えてロックする「フルクリンプ」などのテクニックも必要になります。これは単なる握力ではなく、指の構造を理解した高度な保持技術と言えるでしょう。
ホールドを親指と四本指で挟み込む「ピンチ持ち」
ピンチ持ちは、ホールドを親指と他の指で「挟む」ようにして持つスタイルです。柱状のホールドや、厚みのあるホールドを保持する際に使われます。この持ち方こそ、唯一「握力計の数値」と多少の相関関係があると言われています。
しかし、それでも握力計と異なるのは、親指の使い方の重要性です。握力計は4本の指で引き寄せる動作が主ですが、ピンチ持ちは親指を対立させて「押しつぶす」感覚が強くなります。親指の付け根にある筋肉をいかに効率よく使えるかが、ピンチの安定感を左右します。
また、ピンチ持ちは手首の角度や前腕のひねりも重要になります。単に指の力だけで挟むのではなく、体を引き寄せる方向と同期させて保持の向きを微調整するスキルが求められます。この感覚も、静止した状態で測る握力計では養うことができません。
関節に負担をかけず包み込む「オープンハンド」
オープンハンドは、指をあまり曲げずにホールドの面に指の腹を密着させる持ち方です。ポケット状のホールドや、丸みを帯びたスローパーと呼ばれるホールドでよく使われます。カチ持ちに比べて関節への負担が少ないため、クライマーにとって最も理想的な持ち方とされています。
オープンハンドでの保持力は、摩擦力(フリクション)を最大限に活用する能力でもあります。指の表面の皮膚の状態や、ホールドに対してどの角度で荷重をかけるかという繊細な感覚が求められます。これは、力任せに握りつぶす握力とは対極にある技術です。
このオープンハンドを鍛えることで、長いルートでも疲れにくくなり、怪我のリスクを減らしながら高難度の課題に挑戦できるようになります。握力計の数値に頼らず、この「指を伸ばした状態での粘り強さ」を磨くことこそが、真の強さへの第一歩です。
指の強さだけでは登れない!ボルダリングの実力を決める要素

たとえ指の保持力が人並み外れて強かったとしても、それだけでボルダリングが上手くなるわけではありません。実は、保持力以上に重要な要素がいくつも重なり合って、一つの課題を完登する能力が形作られています。ここでは、保持力以外の重要なスキルについて解説します。
重心移動と足の置き方(フットワーク)の技術
ボルダリングにおいて、指にかかる負荷を最小限に抑えるのが「フットワーク」の役割です。足の位置や角度を適切に決めることで、体重の大部分を足(下半身)に分散させることができます。保持力がそれほど強くない女性クライマーが、力強い男性よりもスイスイ登れる理由はここにあります。
例えば、ホールドに対して垂直に足を置くだけでなく、つま先を外側に向けたり(アウトサイドエッジ)、かかとを引っ掛けたり(ヒールフック)することで、驚くほど指の負担が軽くなります。握力計の数値が高い人ほど、力に頼って足をおろそかにしがちなので注意が必要です。
上手なクライマーは「いかに指の力を使わずに登るか」を常に考えています。保持力に限界を感じているなら、握力を鍛える前に、自分の足の使い方が雑になっていないか、重心が壁から離れていないかを見直してみることをおすすめします。
全身を連動させてパワーを生み出す体幹(コア)
「指は強いはずなのに、足が壁から離れるとすぐに落ちてしまう」という悩みを持つ方は、体幹の使い方が課題かもしれません。ボルダリングでは、指先と足先の2点をつなぎ、その間の体を一直線に保つために強力な腹筋や背筋の緊張が必要になります。
この連動がうまくいかないと、いくら保持力があっても体が壁から剥がされるように落ちてしまいます。握力計の数値はあくまで「末端の力」であり、それを全身の動きに統合する力がなければ、実際の壁では宝の持ち腐れとなってしまうのです。
空中で足が切れてしまった際に耐える「キャンパシング」の動きでも、実は指の力以上に背中の筋肉や体幹の引き付けが重要です。指先だけの強化に走らず、全身を一つのユニットとして動かせるように意識的なトレーニングを行うことが重要です。
柔軟性がもたらす「届かないホールド」へのアプローチ
身体の柔軟性、特に股関節周りの柔らかさは、保持力の不足をカバーする大きな武器になります。足が高く上がれば、それだけ高い位置にあるフットホールドを利用でき、結果として手への負荷を大幅に軽減できるからです。これは握力計をいくら握っても得られない恩恵です。
また、肩甲骨周りの柔軟性があれば、より遠くのホールドに対して自然な姿勢でアプローチできます。無理な姿勢でホールドを保持しようとすると、指に不自然な負荷がかかり、保持力が急激に低下してしまいます。柔軟な体は、保持力を効率よく発揮するための土台となります。
日々のストレッチを欠かさず行い、可動域を広げることは、指のトレーニングと同じくらい価値があります。保持力だけに頼らない「しなやかな登り」を目指すことで、結果的に指の怪我を防ぎつつ、グレードを上げていくことができるでしょう。
メモ:
ボルダリングの上達には「心・技・体」のバランスが重要です。保持力は「体」の一部に過ぎず、「技(ムーブ)」や「心(オブザベーション=ルートの下見)」が伴って初めて成果が出ます。
本当に保持力を高めるために効果的なトレーニング方法

握力計が意味ないとはいえ、保持力の強化が必要な局面は必ず訪れます。では、クライマーとして本当に意味のある「保持力トレーニング」とはどのようなものでしょうか。ジムで取り入れやすく、効果が実証されている手法をご紹介します。
フィンガーボード(ハングボード)でのぶら下がり
クライミング界で最も標準的な指の強化法が、フィンガーボードを用いたトレーニングです。これは、壁に取り付けられた様々な厚みの溝に指をかけ、一定時間ぶら下がるというものです。握力計のような動作ではなく、まさに「耐える力」をダイレクトに鍛えられます。
まずは、4本の指を伸ばしたオープンハンドの状態で、10秒から15秒程度ぶら下がる練習から始めましょう。無理に小さな溝を使うのではなく、確実に保持できるサイズからスタートし、徐々に指への負荷を上げていくのが安全で効果的な方法です。
フィンガーボードの利点は、自分の体重を利用して負荷をかけられる点にあります。自重が重すぎる場合は足を地面につけて負荷を調整することもでき、握力計よりもはるかに実戦に近い刺激を指に与えることが可能です。ただし、腱を痛めやすいため、必ず十分なアップの後に行ってください。
キャンパスボードで養う瞬発的な「コンタクトストレングス」
中上級者向けのトレーニングとして知られるキャンパスボードは、ホールドを素早く掴み取る力(コンタクトストレングス)を養うのに最適です。これは、足を使わずに指先だけで板を登っていく練習で、非常に強度の高いトレーニングとなります。
一瞬で指に最大負荷がかかるため、握力計でゆっくり握り込む力とは全く別次元の「反応速度」と「爆発的な保持力」が身につきます。これによって、デッドポイント(動的なムーブ)で遠くのホールドを捉えた際に、指が弾かれずにピタッと止まる感覚を掴めるようになります。
キャンパスボードは負荷が極めて高いため、週に1〜2回、短時間集中して行うのが基本です。初心者がいきなり挑戦すると指や肘を壊すリスクが高いため、まずは登る量を増やして基礎的な指の強度を作ってから取り入れるようにしましょう。
実戦的な「保持のバリエーション」を意識した登り込み
最も効率的で楽しいトレーニングは、やはり「壁を登ること」そのものです。ただし、ただ漫然と登るのではなく、特定の持ち方を意識して登る時間を設けることが大切です。例えば、「今日は全てのホールドをオープンハンドで持つ」といった制限を設ける練習が有効です。
また、自分が苦手とする形状のホールド(苦手なピンチや嫌いなスローパーなど)が含まれる課題にあえて挑戦し続けることで、脳と神経系がその保持に最適な筋肉の動かし方を学習していきます。これは握力計の数値アップでは決して得られない、実戦での適応能力です。
さらに、ホールドを「優しく持つ」練習も効果的です。必要以上に強く握りすぎず、外れないギリギリの力加減を見極めることで、指の持久力を飛躍的に向上させることができます。省エネで登る技術もまた、広義の保持力の一部だと言えるでしょう。
【おすすめトレーニングまとめ】
1. フィンガーボード:静止した状態で指の最大筋力を高める。
2. キャンパスボード:動的な動きの中でホールドを止める力を鍛える。
3. 制限付きの登り込み:苦手な持ち方を克服し、実戦的な感覚を養う。
握力計を活用するなら?クライミングに役立てる「例外的な使い方」

ここまで「握力計は意味ない」という側面を強調してきましたが、実は全く使い道がないわけではありません。目的を取り違えなければ、ボルダリングのパフォーマンス管理に役立つツールになります。どのように活用すれば意味のあるものになるのか、その活用術を解説します。
オーバートレーニングを防ぐ「疲労度のバロメーター」
握力計の最も賢い使い方は、筋力を伸ばすためではなく、自分の「疲労状態」をチェックするために使うことです。毎日、またはセッションの前に握力を測定することで、中枢神経系や前腕の筋肉がどれだけ回復しているかを客観的に把握できます。
例えば、朝起きた時の数値が普段より5kg以上低い場合は、前日のトレーニングの疲れが抜けきっていない、あるいは自律神経が乱れているサインかもしれません。そのような状態で高強度のトレーニングを行うと、怪我をするリスクが高まります。
このように、握力計を「本日の体調予報」として使うことで、無理な追い込みを回避し、長期的な上達をサポートするツールに変えることができます。数値の絶対的な高さではなく、自分の中での「振れ幅」に注目することが活用のコツです。
リハビリ過程における「左右差」のチェック
指や肘、肩などを怪我してしまった場合、復帰の過程で握力計が役立つことがあります。怪我をした側の手と健康な側の手の数値を比較することで、どの程度まで筋力が戻ってきたのかを視覚的に確認できるからです。
特に指の怪我の場合、直接的な保持力の測定はリスクが高いですが、握力計で「握り込む動作」を確認する程度であれば、安全に筋力の回復度を測れます。左右のバランスが整ってきたことを数値で確認できれば、安心して壁に戻る判断材料になります。
リハビリ期間中はモチベーションが維持しにくいものですが、少しずつ数値が回復していく過程を見ることは、精神的な支えにもなります。医療的な診断の代わりにはなりませんが、自分自身の感覚と実際の数値を照らし合わせるためのツールとしては優秀です。
モチベーション維持のための補助的な指標
ボルダリングのグレード(級や段)は、ジムのセット内容やコンディションによって感じ方が変わる相対的なものです。そのため、自分の成長をなかなか実感できない時期があります。そんな時、補助的な指標として握力計の数値が伸びていれば、自信に繋がることもあります。
「この一ヶ月で握力が3kg増えたから、前腕の基礎体力はついているはずだ」と前向きに捉えることは、トレーニングを継続する力になります。ただし、あくまで「おまけ」の数値であることを忘れてはいけません。
大切なのは、握力計の数値を上げることを目的化しないことです。数値が上がっても登れない時は、「技術やフットワークに課題がある」と冷静に分析する姿勢が求められます。自分の心をサポートするためのツールとして、適度な距離感で付き合うのが正解です。
ボルダリングにおける握力計の意味と正しい上達のまとめ
ボルダリングにおいて「握力計は意味ない」と言われる最大の理由は、測定される「握りつぶす力」と登攀に必要な「耐える力(保持力)」が別物だからです。握力計の数値だけにこだわっても、実際の壁では通用しない筋肉がついてしまうばかりか、体重が増えてパフォーマンスを下げてしまうリスクもあります。
本気で上達を目指すのであれば、以下の3つのポイントを意識することが大切です。
| ポイント | 具体的なアクション |
|---|---|
| 保持力の強化 | フィンガーボードなど、クライミング特有の持ち方で指を鍛える。 |
| 技術の向上 | 足の使い方や重心移動を磨き、指にかかる負荷を減らす努力をする。 |
| ツールの活用 | 握力計は「疲労チェック」や「リハビリの指標」として活用する。 |
ボルダリングは、指の力だけで登るスポーツではありません。指、腕、背中、体幹、そして足といった全身の筋肉をパズルのように組み合わせ、さらには柔軟性やテクニック、そして「どう登るか」を考える知性が求められる奥深いスポーツです。
握力計の数値に一喜一憂するのではなく、自分の体が壁の中でどのように動いているのか、どのホールドをどう持てば楽に感じられるのかといった、実戦的な感覚を大切にしてください。正しい知識に基づいたトレーニングを積み重ねれば、握力計の数値とは関係なく、あなたは確実に上のグレードへ手が届くようになるはずです。
これからも、自分の体と対話しながら、楽しくボルダリングを続けていきましょう!



